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 風呂敷 まめ知識
知っているとちょっと自慢できる?!風呂敷の歴史や豆知識をご紹介。

■風呂敷の歴史
【奈良時代】
奈良の尼寺・法華寺に蒸し風呂があり、スノコの下から薬草などを燃やして煙を出し、祈祷や疫病対策などに利用していたということです。
そのスノコに直に座ると熱いので、筵(むしろ)を敷き、また、汗もこれに吸わせたようです。これが、「風呂敷」の語源という説があります。

【室町時代】
将軍足利義満が建てた大きな湯屋に公家たちが招かれ入浴したとき、湯殿の下に敷いたり衣類を間違えないように家紋を入れた風呂敷に包んだとされています。

【江戸時代】
江戸時代に入り庶民に銭湯が普及し、銭湯で脱いだ衣類を包んだり、その上で着替えるのに風呂敷が用いられました。
この頃から風呂敷の名前が一般に定着してきたものと考えられます。
そして花見など物見遊山が大衆化したことで、風呂敷を使う機会が増えました。
また江戸時代には、火事への備えとして、風呂敷は布団の下に敷かれるようになりました。その理由は、火事が多い江戸の町で、夜でも鍋釜と布団をそのまま包んですぐ逃げられたからです。このように、普段使いの利用法と違い、代用品として手近にあるものの利用法として「早風呂敷」と名付けられたとされています。
江戸期以後、富山の薬売りを筆頭とする行商など商売の発達でも、風呂敷は広く普及していきました。上方商人が江戸で商標の入った風呂敷で評判呼び、成功を手にした話しなどは有名です。江戸時代の風呂敷は、大体手染めの木綿製でした。

【明治時代】
明治期以降は広く庶民の間にも普及し、結納などハレの日の場面では、必需品となりました。
また商売で商品を運んだり、学校に通う時の教科書や道具を包んだりと、日常生活には風呂敷はなくてならない存在でした。

【戦後】
戦後は新しい染色技法も開発され、また、絹や木綿以外の化学繊維も使われるようになり、さまざまな風呂敷が作られるようになりました。
昭和40年ごろには、ナイロンの風呂敷(いわゆるボカシ染めを中心に)が引き出物などを包むのに普及し、大量生産されるようになりました。
また、企業や団体などの記念品としても、各方面で風呂敷は使われました。

■風呂敷のサイズについて
風呂敷は実は正方形ではなく、上下と左右の長さがほんの少し違います。
風呂敷は、反物を裁断しその端を三ツ巻きにして縫い上げて作り、縫った端を天地(上下)とし、生地巾(きじはば) が左右となり、こちらの巾の方が天地よりも少し長く作られているのです。
風呂敷のサイズは、「巾(はば)」という単位で、二(ふた)巾、二四(にし)巾、三(み)巾…と表し基本だけで約10種類のサイズがあります。
この表現は、昔、生地の横幅が一巾(約36cm)として作られていた時代、より巾の広い風呂敷を作るために一巾のものを縫い合わせて『一巾+一巾=二巾』を作ったことに由来しています。
現在では、広巾の生地が生産できるようになり、四(よ)巾(約128cm)までは一枚もの、五(いつ)巾(約175cm)以上は生地を縫い合わせて作られています。
また最近では効率的に広幅から小さいサイズを量産するため、四方縫い(天地・生地巾の両方を縫ってあるもの)で正方形の風呂敷もバリエーションに加えるなど、 基本のサイズ以外の風呂敷も生産されるようになりました。

■世界の風呂敷
『風呂敷』というと日本文化の代表的存在のように思われていますが、実は四角形の布を包み布として使う文化を持つ国は日本以外にも多いそうです。
例えば韓国の『ポジャギ』や、中国の『バオフ』、またチベットや、南米のチリでも、同じような包み布の文化が存在しています。
しかしそれらはその国の気候や風土、また民族の美意識や文化などを色濃く反映しているため、それぞれ素材や色・柄に違いが見られます。
四季折々の豊かな自然に恵まれた日本では、風呂敷にも独特の美意識や繊細な心配りが感じられます。